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運営者プロフィール

プロフィール

始めまして、薦田(コモダ)と申します。

はじめてでも「損をしない」不動産投資の学び方にご訪問いただき、ありがとうございます。

 

私は、徳島県出身、二十歳の時に大阪に就職、その後は31年間サラリーマンをしておりました。

就職した当時は、1986年で景気が良く、毎年給料が上がっていく、夢のような時代でした。

また、当時は、ハードワーカーが当たり前の時代で、私も早朝から深夜までハードワーカーでした。

その頃は『♪黄色と黒は勇気の印し♪ 24時間戦えますか? リゲイン! リゲイン!』なんてコマーシャルが流行っていた時代です。懐かしい!

 

 

多分、今の皆さんと同じだと思いますが、その頃の私は、『いつかはお金持ちになるんだ』と、株式投資、海外投資を楽しむ会にも加入して、資産を増やすことに邁進していました。

いろいろな投資にチャレンジし、少しずつ資産を増やすことが出来るようになっていきました。

 

不動産投資を始めるキッカケ

大きな転機は、ひょんなことから、自宅マンションを買い替えることになった時でした。

バブル時に購入した旧自宅マンションが半値以下😢に、このまま損切すべきか!

みなさんならどうされますか?

 

 

そうなんです。

当時の私(2003年38歳)は、「損を少しでも取り戻す為に、損切せずに賃貸で家賃を貰おう」

と、安易な考えで、不動産賃貸業を始める決断をしてしまったんです。

不動産投資の転機になった旧自宅マンション(バブル崩壊で半値以下になってました)

 

いざ賃貸に!

 

と、リフォームして賃貸業者に持ち込みましたが・・・・・。

 

当初はノウハウ・経験が全くなく、なかなか入居が決まりませんでした。

 

結局、借りてもらうまでに、約1年も掛かってしまいました。

 

競売物件にチャレンジ

次の転機は、自宅ポストに、マンション内の競売物件の売り出しチラシを見つけた時でした。

 

競売だとなんて安く物件を購入できるんだ! と感動したのを覚えています。

みなさんならどうされますか?

 

 

そうなんです。

当時の私は、1件目(旧自宅)の入居が決まり、虎の子の手持ち資金が800万円程度溜まっていたので、何とか競売で安く物件が購入できないかと考えるようになっていました。

 

でも、競売物件って素人が購入するにはハードルが高すぎますよね。

 

ではどうしたか。

いろいろ調べてみると、競売物件を仲介してくれる業者がいたんですよ。当時は。

 

競売物件の仲介業者も見つかり、毎日競売情報を検索していると、なんと自宅マンションの別棟で競売物件が出ていることを発見!

その業者さんに依頼して入札、無事に落札することが出来たんです。

 

競売物件の中ってどんなのか知ってますか、落札した物件は、夜逃げしたらしく、部屋には仏壇や、生活用品が散乱していて凄かったですね。

写真はイメージです。

 

 

それからは、競売物件に味をしめて、競売物件を買い進めようと考えたのですが、当時は競売物件は落札すると現金で一括支払いしないといけなかったんです。

流石に1件目の購入とリフォーム代で800万円は無くなってますから、もう軍資金は無いですよね。

みなさんならどうされますか?

 

 

そうなんです。

当時の私は、どこかから資金調達できないか手当たり次第にあたっていました。

『日本政策金融公庫というところなら、お金を貸してくれるらしい』との情報を入手、直ぐに日本政策金融公庫に電話をして相談してみました。

 

事業計画書やら、面談やら、当時のサラリーマンの私には何をして良いのか訳のわからないことをいろいろ言われました。

兎に角、これを乗り越えなければ!

 

不安しかない中で必要書類を作成して、面談は妻も引っ張り出して、スーツを着て緊張しながら面談に臨んだのを覚えています。

 

何とかなるもんですね。

1件目に競売で購入した物件を担保に、ほぼ同額を借り入れることができたんです。

 

よし、2件目に挑戦 ⇒ 落札 ⇒ 公庫から資金調達 ⇒ 3件目に挑戦 ⇒ 落札

 

 

このまま無限にこれを繰り返したら、夢のお金持ちになれる!

 

世の中そう甘くは無いです。

 

そう、3件購入し、借入総額が2,000万円を超えたところで、公庫担当者から

「こんな投機的な事業にはこれ以上、融資はできません!」

 

後で知ったことですが、日本政策金融公庫は半民半官の金融機関で、事業支援を目的に設立されていたんです。

追加融資が難しくなった要因は

①事業経営実績のない個人の信用力は、概ね2,000万円
※現在でも、日本政策金融公庫では2,000万円までは比較的簡単に借入できます。

②不動産事業経営が出来て無かった=事業として経営していなかった
(不動産投機にみられてしまっていた)

 

 

天国から地獄へ、無限に繰り返してお金持ちになる夢が消えた瞬間でした。

 

中古一棟マンションデビュー

諦めずに、次のステップとして、中古1棟マンションを探し内覧などを続けるも、勿論、資金調達の目途が立たず。

 

捨てる神あれば拾う神あり

諦めなければチャンスは巡ってくるもんです。

 

次の転機は、2007年、不動産投資プチバブルが到来しました。

 

都市銀行が積極的にサラリーマン向けに1億以上のフルローンを出してくれるようになり、
私も、中古の一棟マンションデビューをすることができました。

始めて購入した中古一棟マンション(1R✕15室)

 

その時点で、家賃収入が年間1千万円を突破、

サラリーマンの年収を超えた達成感が有ったのを今でも覚えています。

 

その後もう1棟中古一棟マンションを購入。

 

借入が2億円を超え、いよいよ個人ではこれ以上の借入が難しいと言われるようになってきました。
※当時、個人事業の場合、信用力は2億円程度と言われていました。

 

法人化と事業の多角化

これ以上、事業を拡大するためには、法人化することが必要と分かったんですが、サラリーマンにはハードル高く無いですか?

みなさんならどうされますか?

 

 

そうなんです。

当時の私は、2012年、妻を代表にして、株式会社CASA COMODAを設立してしまったんです。

 

法人化後は、順調に中古一棟マンションを買い進み、2棟購入することができました。

CASA COMODA MINOH

 

かなり事業規模が大きくなったころ、あるセミナーで不動産投資の師匠と出会い、

2016年民泊事業着手(2017年竣工・事業開始)

 

2018年新築のマンション建築(2019年竣工)

 

築古戸建て再生事業

 

いろいろな事業に拡大、事業規模を大きく育てることに成功しました。

 

自己実現を求めて

駆け足で私の不動産投資の歩みを振り返って来ましたが、波乱万丈、まだまだエピソードには数限りがありません。

 

いろいろなことがあり、

個人で持っていた物件は全て売却し利益確定、

法人で持っていた物件もほとんど売却して、

現在は、民泊1棟、築古戸建16棟を、法人で所有しながら、ゆるく不動産賃貸業を継続しています。

 

 

一方で、

若い頃にお金持ちを夢見て取得しておいた自家用操縦士免許を活用して、

飛行機をレンタルし、

八尾飛行場から北は北海道から南は沖縄まで、

月に2回程度フライトしています。

息子と二人でフライトを楽しむ運営者

 

 

そんな夢のような人生を送っていますが、

何か物足りない、

と思うようになり、いろいろ模索していましたが、

今まで経験してきた不動産賃貸業、不動産投資のノウハウを発信することで、

少しでも今から始める方のお役に立てたらと考えるようになり、

また、自分の人生の記録としての一面もあり経験をまとめることにしました。

 

最後に

 

人生は、人それぞれ価値観が違うので、一つの正解はありません。

 

自分が幸せだと感じることができれば、

成功であり、

それがその人にとっての正解で、

それは無数にあると思います。

あなたへ贈る言葉

『知識は力、行動は成長。夢を実現するのは、あなたの実践。』

 

このブログが、みなさまの少しでもお役に立てれば幸いです。